歴代競馬騎手”小島太”

歴代競馬騎手〜小島太とは〜

小島太氏は、第一次から第二次競馬ブームの長きにわたって競馬の隆盛を支えた伝説的騎手です。現役時代はレース内容もさることながら、その個性的な言動で多くの注目集め、熱狂的なファンを生みました。現在の所属団体はJRA日本中央競馬会の美浦トレーニングセンターで、現役時代の印象からは想像もつかない堅実な経営者の顔を持った調教師として活躍しています。

歴代競馬騎手〜小島太の生い立ち〜

そんな小島太氏の生年月日は1947年4月11日、出身地は北海道で、馬商と装蹄を生業としていた父のもとに生を受けました。生い立ちを見てみると、幼少のころから草競馬に出場したり、小学校の長期休暇には手伝いとして道営競馬場に出入りしていたりと、馬に慣れ親しんでいた様子を垣間見ることができます。長じて後は中央競馬の騎手に憧れを抱くようになり、騎手養成課程を受験する際には、もし合格しなかった場合は「青函連絡船から飛び降りて死ぬ」という覚悟であったという逸話もあるほど。騎手養成課程時には身長163cm・体重50kgという当時のジョッキーとしては比較的大柄な体を持っていた小島氏は、半ば強迫観念を抱くほどに大きくなることを恐れ、箪笥の中で眠っていたという壮絶なエピソードもあります。

歴代競馬騎手〜小島太の活躍〜

念願かなって騎手となってからは、大舞台でこそ真価を発揮するその騎乗スタイルで数多くのファンを魅了する反面、あまりにも負けっぷりが潔い騎手としても名を馳せました。また、自らを「元祖・不良」と称するなど個性的な言動でも常に注目を集め続け、熱狂的なファンと同時に多くのアンチを抱えてしまったことでも知られています。
その印象的な騎乗スタイルは文化人たちをも惹きつけ、小島太氏には「華のある男」「日本一ピンクの似合う個性派騎手」など、沢山の二つ名が贈られました。
時に予想を裏切るような騎乗で泣かされた馬券師も多かったはずですが、引退式は相性である「フトシ」の大歓声に送られてステッキを置きました。